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宮川地域福祉センターでのボランティア活動

荒 本 春 枝
(神戸市長田区)

 

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真夏日の続く炎天下で建設の槌音が響き、神戸は今着実に復興しつつあります。 長田の街並みも住宅は基礎のしっかりした3階建てが目立ちますマンションも随所に建ち始め、更地は駐車場に変わっていきます。
しかし、現在もなお不便な仮設住宅に住み公営住宅への入居を待ち望んでいる人達も、まだ5千世帯を超えるとのこと、県・市当局の努力は多としますが、やはり一日でも早い行政の対処が望まれます。
さて、阪神・淡路大震災は平成7年1月17日午前5時46分発生、以来1年半が経過しましたが、当日のことを思い起こすと、未明、着の身着のままで戸外に飛び出し、幸い車が動かせたので、長田神社前の宮川地域福祉センター(サンドール北館5階)へと向かいました。福祉センターは、地区の「まちづくりふれあい協議会」が区から運営の委託を受けており、同協議会の委員長を仰せつかっていることから、運営には全責任があり、幸い建物自体は無事で安心しました。でも内部は、天井のエアコンは数カ所落ち、事務所の戸棚は倒れてガラス、書類は散乱して足の踏み場もない有り様でした。
宮川小学校区内は、我が家も含め全・半壊の家屋が多く、大方の人が近くの小学校へ避難されておられました。区役所へ状況報告に行くと、所内は被災者で溢れ返り、職員の方も少なく、救援物資もないのでセンターへ帰りました。
水道・電気・ガスも止まり、電話も通じず、ラジオの情報も不明、そのうち重なる余震と区内中央部や隣の兵庫区からも火の手が上がり、夜空を焦がし始め、危険を感じ、私達も長田区役所西門前の常夜燈の広場に移動し、その夜は車中で過ごしました。とても寒い思いをしました。
翌朝、やっと北区の公衆電話が通じ須磨区内の義弟宅が無事で、快く迎えてくれました。しかし、板宿からは電車がなく、その後20日余り、毎日2kmほど歩いて長田まで通い、センター内の片付けや、倒壊した自宅の撤去等を済ませました。2月1日から区役所の依頼で被災者100 名をセンターに受け入れることになりました。老人・弱者を優先し、全員を20人程度5班に分けて順次部屋を割り当てました。
何分人数の多いことですから、先ず安全指導と緊急時の避難方法に最も注意をはらいました。
ボランティアは当初、大学生の方々(大学生、男女各2名、後日女子学生2名増加)が来てくれました。大会議室に畳50枚を敷き、食料や毛布など救援物資を格納したり分配したりしました。
また、2月10日から3月末までは、千葉県松戸市の職員の方が2名ずつ1週間交替で泊まり込みで来て頂き、安全管理や物品の受け払い、被災者の班別自治組織づくりにも大変力強い思いをしました。この人達は希望してはるばる神戸にやって来られただけあって、指導力もあり、被災の状況も良く調査して帰られました。

 

 

 

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